OGインタビュー 西尾明子さん(馬路村地域おこし協力隊OG)

西尾明子さん
馬路村地域おこし協力隊OG(2017〜2020)

〈現在の仕事〉
体験プログラムや観光のガイド業を開業しながら村内で複数の仕事に携わる
(製材所、診療所のリハビリ助手、農協直売所etc)

〈馬路村に住んでみたい!思いを協力隊で実現〉

 ポン酢がきっかけで馬路村のことを知りました。神戸に住んでいる時から馬路村農協のDブログ「日々馬路村」を読んだり、「特別村民制度」に参加したり親しみを持っていました。

 どこかに移住しようかな?と検討していた時に、一度だけ行ったことがある馬路村の心地よさを思い出して「住んでみたい!」と気になり調べ始めました。その中で過去の地域おこし協力隊の募集を見つけて、2016年の年末に問い合わせをしました。

 Webで見つけたのが古い情報だったようで、今は募集をしていないからと一旦断られたんですが、年明けにもう一度連絡が来て「協力隊を新たに募集することになりました」と。

 実はその時、4月からの次の仕事が決まりかけていたんですが、ギリギリまで返事を待ってもらって、2月に面接、3月に協力隊採用が決定。結局返事を待ってもらった仕事はお断りして2017年の4月に馬路村にやってきました。

〈馬路が好き、もっともっと馬路を知りたい〉

 協力隊では、馬路村の中でも魚梁瀬(やなせ)地区担当フリーミッションとなりました。魚梁瀬にはキャンプ場があり、運営全般や地区のイベント企画、新しいアクティビティの開発などやりがいもありましたが忙殺状態の時期もありました。

 スタッフが少なくなっていた「魚梁瀬山の案内人クラブ」にも参加し、隊員期間中にダム湖を活用したSUP体験のプログラム、キャンプ場でのピザ焼き体験やイベントで行う山のガイドなどを立ち上げ今も継続しています。

 協力隊の任期終わりにコロナ禍となり、色々考えていた観光関係の企画が全く実現できなくなりました。正直残るか帰るか迷った時期もあります。

 私の住んでいる魚梁瀬地区は馬路村の馬路地区から車で40分ほど、さらに山を上がった地区で馬路村全体の人口800人のうち150人ほどの人が暮らしています。

 協力隊の3年間は魚梁瀬地区に住み仕事も魚梁瀬地区。どっぷり魚梁瀬地区中心の生活だったので、馬路村の馬路地区のことはほとんど知らないままでした。

 今でも魚梁瀬地区から馬路地区へ山を降りてくると、不思議なことに同じ馬路村の中なのに「馬路村にきた!」って毎回思ってしまいます。自分は魚梁瀬地区以外の馬路村をまだまだ知らない、もう少し村を見てみたいなと思ったことも残った理由です。

 生活拠点は今も魚梁瀬地区ですが、任期後は馬路地区での仕事も増えました。任期中からコロナ禍であっても「村と外の人を繋げたい」という思いが自分の中にずっとありました。

 仕事の一つである馬路村農協の直売所は、観光で訪れた人も村内の人も立ち寄る場所なので、話をすることで村全体の知識も知り合いも増え、観光案内にも役立っています。

 馬路村では林業で栄えた弊害として、木を切るチェーンソー作業で「振動病」という手指の末梢循環障害となった高齢者が一定数いらっしゃいます。今は作業時間などの規定も厳しくなり発症する方はいないのですが、その振動病の進行を少しでも緩和維持するため温めたり電気を当てる治療のお手伝いの仕事を村の診療所で行っています。

 この仕事のステキなところは90歳代のおじいちゃんたちから貴重な昔話が聞けること。山の話、木の話、昔の馬路村での暮らしの様子、昔の馬路村を思い描くのはかけがえのないとても楽しい時間です。

 天然の魚梁瀬杉の育つ千本山に関わるようになり、商品となった材木にも触れるようになりました。でもその間の「山から木が切り出され材木になるまでの過程」を自分は知らないと気づきました。

 馬路村に残ると決めた任期後、職業安定所で職業訓練講座を受けることができることを知り、木造建築のリフォームやCAD操作を学ぶ講座を受講することができました。そのおかげで村の製材所でも働き始めました。

〈協力隊だったからできたこと、今悩んでる人へ〉

 協力隊で担当地区だった魚梁瀬地区の住民はほとんど知り合いです。協力隊という肩書きのおかげで、住民の家を訪問したりイベントの会議にも出席できどんどん知り合いが増えました。任期終了後も未だに「魚梁瀬の元地域おこし協力隊」と言うと分かってもらえるのは協力隊だからこその特典だと思います。

 任期中は悩む時も大変な時もありましたが、不意に思ってもいないところから「よう頑張ってるね」と声をかけられることもあり、見ている人は頑張りを見てくれているんだと諦めず続けることができました。大変な時もあったけど、残ってよかった!と思っています。

 悩みは自分だけではどうしようもないことが原因の時も多いです。そんな中でタイミングや人との出会いをプラスに変えて行けるように、自分のやりたいことを真面目に頑張って理解者をたくさん作ってください。

〈お世話になった魚梁瀬で自分にしかできない何かを〉

 最近、たまたまSNSで見つけた二週間の県外林業研修に思い切って行ってきました。そこでも現役やOBの地域おこし協力隊員が林業関係の仕事や起業して活躍しており、出会いが刺激と自信になりました。村の間伐材を加工する工場でできる副産物「かなば材」を使ったクラフト制作やイベント出店も始めました。

 今、また魚梁瀬で活動したいという思いが湧き上がっています。昔の山仕事の話も、今の柚子栽培も全て馬路村の林業の歴史の一部。私の集めた馬路村のことを観光客だけでなく村の人たちにも広げ、魚梁瀬に恩返しし、持続できる何かを作りたいと考えています。

〈〈取材を終えて〉〉

 西尾さんのとにかく馬路村を思う深い愛が言葉からほとばしっていました。好きな気持ちが強いからこそもっともっと知りたい気持ちと悩む気持ちがあったのだと思います。さまざまな形で携わる仕事は、それぞれ一見関連性がないように見えて、実は一本の糸「馬路村をより広く、より深く知りたい」西尾さんの思いに繋がっていました。

※この記事は2023年10月15日時点の情報をもとに作成しています

取材担当:川島