OBインタビュー 斉藤光さん(佐川町地域おこし協力隊OB)

斉藤 光さん
佐川町地域おこし協力隊OB(2017~2019)

〈現在の仕事〉
佐川町議会議員、自伐型林業、鍼灸院

〈待機児童問題をきっかけに移住を検討〉

 東京で暮らしながら夫婦で鍼灸院をやっていた時に子どもが生まれ、保育園に入れたいと思ったら待機児童問題で入園できず、100人待ちと言われてしまいました。

 ちょうど妻の幼なじみが高知にいて「高知がいいところだから早く来なよ!」と声を掛けられたので、有楽町で開催された移住フェアに向かいました。

 いろんな県の相談ブースに寄ったのですが、なかでも高知がめちゃくちゃウエルカムな雰囲気でした。高知に移住してすぐに鍼灸院をやることも考えたのですが、知り合いがいない場所で事業を軌道化させるには時間がかかると思ったので、別の仕事をしながら鍼灸院の基盤ができたほうが良いと考えました。

 そんな時、一次産業が人手不足というニュースを見て林業に関心を持つようになり、高知の林業のなかでおもしろい取り組みをしている佐川町に惹かれ、協力隊になることを決めました。

〈林業の楽しさは達成感〉

 肉体的にしんどい時はありますが、林業が辛いと感じたことはなく、始めた頃からめっちゃ楽しかったです。

 目に見えて作業が進んでいくのが分かるので、「よっしゃー、終わった!」という達成感を得られるのが楽しいです。

 一方、林業では一人で山に入ることが多く危険も伴います。万が一のことがあった場合でも、残された家族がやりきれない気持ちにならないよう、「めちゃくちゃハッピーでした」という感じのことを伝える遺書を書いています。

〈若者と政治との橋渡し役に〉

 協力隊卒業後は、自伐型林業と写真と映像制作、鍼灸の仕事をしていました。卒業から数年経った頃、移住者を中心に100人程が集まって花見をする場で、移住者という立場の意見を町政に反映する議員がほしいという話題が上がりました。

 その後、実際に議員をやる人はおらず、誰かいないかと探していたとき、当時の町長に「ヒカルがやってみたらおもしろいと思うよ」と言われたんです。自分では無理だと思いつつも、佐川町の政治の現状を見てみると、当時の議員の平均年齢は71歳。これでは若い人の意見は通りにくいと感じました。

 その後、「議員になってみたら?」と言われたことを周りの人に話すと、多くの人から「有りかもしれない」と言われ、だんだんその気になってしまい、「若者と政治との橋渡しができれば」と、議員になることを決めました。

佐川町総務文教常任委員会にて(前段右から2番目が斉藤さん)

〈政治の「おかゆ化」活動〉

 議員になって最初の1年は勉強の繰り返しで、政治の世界に慣れることに精一杯でした。2年目になると、自分の興味のある分野を認識できるようになり、「子育て」や「教育」など、若い世代の人がもっと楽しく暮らせるようになるには?と考えるようになりました。

 たくさんの方と話して気付いたのは、知らないことが多いということです。町の動きを知っていれば判断できることもあるので、政治の情報を誰でも簡単にのみ込めるように『おかゆ化』し、一般質問の内容を短くまとめてSNSで発信しています。

 今後、若い人にも政治に興味をもってほしいと考えています。例えば「どういう町だと、みんなが幸せな町なんだろう」や、「困っている人がいたら、あなたならどうする?」といったテーマで、みんなで話す機会をつくれたらと考えています。

〈これから協力隊を目指す方、現役の協力隊の方へ〉

 楽しいことをやってほしいですね。私の名刺の裏にある写真は、町内にある牧野公園から撮ったものなんですが、地域の人に見せると「こんな夜景が撮れるの?」と驚かれるんです。

 みんなそれぞれ地域の良さとか楽しみ方は違うので、こういう視点で地域の良さを知ってもらうのも、回りまわって地域活性化になるのではないかと思います。

 自分も楽しいし、地域も楽しいし。その人が楽しめる手段で地域を楽しんでもらえたら良いのではないでしょうか。

〈〈取材を終えて〉〉

 「楽しい」という言葉をよく口にしていた斉藤さん。自らをオタク気質と表現するように、何かを始めたら、とことんやりきる姿が印象的でした。

 「協力隊」という言葉から、“地域のために”という連想をしてしまいますが、活動している本人が楽しんでいないと地域のためにはならない。言われてみるとシンプルで、とても大事なことだと感じました。

※この記事は、2024年3月時点の情報を掲載しています

取材担当:廣瀬