OGインタビュー 野尻萌生さん(本山町地域おこし協力隊OG)

野尻 萌生さん
本山町地域おこし協力隊OG(2010〜2013年)

〈現在の仕事・生活〉

集落活動センター汗見川(事業推進員)、山番有限責任事業組合(林業、ツリーケア、特殊伐採)

〈地域を学び、役に立てることを見つける〉

 本山町での協力隊第一号ということもあり、最初は受け入れの職員の方とお互い手探りの状態でした。

 幸いにも、子どもの頃から転勤族の家庭で育ち、引越しのたびに人間関係を作り直すのが当たり前だったので、手探りで業務をすることにはあまり抵抗がなく、企画提案型のミッションでしたが、職員の方も積極的に相談に応じてくださいました。

 協力隊1年目は地域がわからないので、学びながら地域で役に立てることを見つけるため、色んな地域に足を運びました。

 その中でも、汗見川活性化委員会会長がこれから始めようとしていたどぶろくの商品化のお手伝いに通ううち、汗見川地域の体験イベントやそば栽培に関わるようになりました。

 協力隊卒業の頃、集落活動センター(以下:センター)の仕組みが汗見川地域に取り入れられ、センターの活動にも関わるようになりましたが、始めたばかりで道半ばのものもあったことから、卒業しても汗見川に残り、やり始めた活動がきちんと続くようにしたいという思いがありました。

〈卒業後も汗見川で地域の方々と始めた活動を続く形にしていきたい〉

 卒業後は、林業と塾のバイト、そしてセンターの3つの仕事で生活していましたが、卒業2年目に「一番やりたいのは地域のことで、3つの仕事の掛け持ちだと全部中途半端になってしまう」と感じ、センターの仕事だけに絞りました。と言ってもまだ収益がしっかりある状態ではなく、仕事として成り立たせるための仕事をする段階で、この時期が生活も一番苦しかったように思います。

 汗見川地域は昔から地域活性化の取組が活発で、既存の取り組みがたくさんありましたが、少子高齢化が進む中、高知大学の先生にご協力いただき「地域の10年後を考えるワークショップ」を開催しました。

 ワークショップでは、改めて地域の魅力や資源、文化や誇りを挙げて、どんな地域にしていきたいかを考えました。また、補助金などの支援がなくなった時、どのように活動を続けていくのか?「自主財源を確保するため事業化し強化していくもの」、「行政や他団体と広域に連携してやっていく必要があるものや福祉的なもの(公共交通や買い物支援、防災など)」に分けて考えて、組織の整理と方向性の確認を行いました。

〈みんなから上がった声を形にして、みんなで残していけるように〉

 事業化できるものとして「赤シソの加工を進めたい」という声が上がりました。赤シソは生活改善グループのメンバーが希釈用のものを昔から作っていましたが、更に販売促進するためアイスに加工する案が挙がり、地元の(有)さめうらフーズにて商品化していただきました。それが好評で、そこから栽培と加工の仕組みを地域全体で本格的に考えていくことになりました。

 事業化には責任も伴うので、私にも覚悟が必要でした。商品均一化の勉強のため、土佐フードビジネスクリエイター(土佐FBC)を受講し、色々指導してもらったことは特に大きく、おかげさまで赤シソの抽出液の受注は年々増えています。

 また汗見川地域では、昔は焼畑のあと最初にそばのタネを撒いて育てる、いわゆる「そばの風土」がありました。高齢化が進み、栽培する人が少なくなってきた中、このままでは汗見川からそばがなくなることが懸念されました。そこで、「みんなでそばを作ってみんかよ」という意見が持ち上がり、センターとしてみんなで畑でそばを栽培し、一般の人にも種まきからそば打ちまで体験してもらうイベントにしていきました。年末には年越しそばも販売され、汗見川の生活文化として親しまれています。

 今は、夏の間の赤シソの加工や汗見川ふれあいの郷清流館の運営を中心に、年間を通して開催されるイベントなどに従事しています。

センターの事務局スタッフも増えたので、色んな仕事を分担して行っています。

〈樹護士アーボリストして始動、グリーンウッドワークの普及〉

 ずっと付かず離れず、興味を持ち関わってきた林業ですが、「山番有限責任事業組合」(山番LLP)に席を置き、冬は林業をメインに生活しています。

 最近、ATI認定資格の「樹護士アーボリスト」を取得しました。樹護士アーボリストは、造園、林業、樹木医をあわせたような樹木のスペシャリストで世界に通ずる技術です。

 林業というとスギやヒノキの山が思い浮かぶかもしれませんが、剪定や特殊伐採を通して、普段触れることの少なかった庭木や街中の木、様々な樹種に触れる機会が増え、身近な生木を生活に使うものに加工するグリーンウッドワークを知り、今一番力を入れています。

 高知や徳島から講師を呼んでスタッフの養成講座を行い、今は汗見川ふれあいの郷清流館の体験としてやり始めています。

 体験受け入れの際には、必ず地域の人にスタッフとして関わってもらいます。一緒にやってくれる人を増やすことで、地域で回していけるようにすることが大切だと感じています。

 元々地域では竹細工や木の鉛筆作りなどを長年行ってきた経験や、木に対する知識の素地があるので、グリーンウッドワークは地域との相性も良く、若者や移住者も興味を持ってくれています。

〈汗見川がいつまでも続いていくように〉

 汗見川で暮らし始めて12年。ここが故郷のようになりました。地域の将来を考え活動を進める中で、人それぞれの考えや思い、立場があり、地域にとって良かれと思っても同じ方向を向いていくのは難しいと感じたことがありました。

 そんな時、「信念なく腹がすわらない中途半端なら帰ってこい」と母との電話で言われたことが心に残っています。地域にとって、5年後、10年後にあの時動いていて良かったと思えるような活動をこれからもしていきたいです。

〜取材を終えて〜

 故郷のように思うようになった汗見川地区への大きな愛を感じるお話でした。常に謙虚に、地域と向き合い、地域が自立、持続することを考え動いてきた野尻さん。自身が興味を持ちスタートしたグリーンウッドワークも、地域との親和性から人々を巻き込み、地域の事業として成り立たせています。

 「人と一緒にやることで自分自身を焚きつけている」ともおっしゃっていたのですが、常に自分の学びを惜しみなく地域に還元する姿勢にお話を聞いていて心打たれました。

※この記事は2025年3月時点の情報を掲載しています   

取材担当:川島 尚子