吉永 みことさん
北川村地域おこし協力隊OG(2022年~2025年)
〈現在の仕事・生活〉
・北川村集落支援員(北部地区担当)
・『小さき絵描きのアトリエ』オンラインショップの運営とデザインなどの受注
〈協力隊に応募した理由・応募した地域を選んだ理由を教えてください〉
高知市で生まれ育ち、芸術系の大学進学のため関西に出ました。大学卒業後は関東で就職し、長年暮らしてきましたが、「自然に囲まれたところで絵を描きながら暮らしたい」という思いが大きくなり、高知県にUターンしたいと考えるようになりました。前職がハーブガーデンのガーデナーだったこともあり、北川村のモネの庭を見つけ、すっかりファンとなり北川村で暮らしたいと思うようになりました。
それからは、移住を視野に北川村に通うようになりました。モネの庭ではガーデン部門の求人がなかったので、北川村役場で移住や仕事の相談をしたら、担当の方が丁寧に村の案内をしてくださいました。
村の方々にたくさん会って話をさせていただき、自分への歓迎ムードのようなものを感じたことと、山奥で豊かに暮らす生身の人々に会えたことが安心材料となり、北川村で暮らしていくという決断をしました。その時、地域おこし協力隊の制度を知り、募集開始まで1年ほどの待機期間を経て着任しました。
〈任期中の主な活動内容と印象に残っていることを教えてください〉
北川村北部地区では、集落の方々が元々いろいろな活動をしていて、活動の拠点を作りたい思いがありました。今ある拠点「いこいの里」も集落の方々がたまにきて、花壇の世話や小屋の掃除をしたりはしていましたが、現地に入り込んで全体の把握や行政との橋渡しをする人がいませんでした。
先代の隊員や農業ミッションの隊員もこれまでたくさん関わってくれており、私が地区専任となってから、小屋だけだった施設の外にみんなでテラスを作り、憩う場や良心市のようなものに使ったりと、少しずつ体系的に形を整えていきました。

なかでも、北部活動拠点「いこいの里」のシンボルとなったテラス組み上げイベントから一年が経った、2023年の春に行った1周年記念のお花見イベントが一番印象に残っています。会で何かを決める時、反対意見も少なからずある中で、このイベントに関してだけは総じて全員が「やったらいいんじゃないか」と、すんなり合意に至りました。活動が継続し、定着する土壌を整えることが目標だったので、それが叶えられた象徴となるイベントだったように思います。

〈任期中の悩みや課題、それに対して取り組んだことを教えてください〉
会社でもなく、志が全く同じグループでもなく、色々な方が生活もありつつ活動するのが集落活動です。個人の人生を邪魔せず、みんなで生きていくにはどうしたらいいか?哲学的な表現となりますが、それが私の中でずっと課題でした。
そして取り組んだのが、徹底的なヒアリングです。集落の方々から生の声をヒアリングしてそれを体系的にアーカイブしていくことに徹しました。そこからさまざまな意見のちょうど良いバランスや落とし所を検討していきました。
自分には力がないという思いも悩みでした。何かしらの特技やキャラ立ちするようなスキルもない、若さもなく家族もなくすごいキャリアもない。そんな思いがありました。ただ、集落の皆さんにとって、自分は危険がない生き物、例えば活動拠点にいる座敷童のように思ってもらえたらと。今まで、シャッターが降りて閉まっていた施設が開いて人がいる時がある。そんな認識の距離感から始まって、少しずつ話しかけてくれたり会いにきてくれる方が出てきて距離を縮めていきました。
自分から積極的に地域に入った方がいいとか、色んな場に顔を出した方がいいと最初はよく聞きましたが、私は来てくれる方々から徹底的にヒアリングした上で、ここだったら大丈夫という場に少しずつ顔を出して歩み寄るような、そんな感じの距離の詰め方をしてきました。
そして、自分には何もないと思い悩んでいましたが、結果的には集落の方々と繋がりができていったこと、みなさんと一緒に拠点を少しずつ整備できたことが自信へとつながっています。

〈任期後の仕事を選んだ理由を教えてください〉
地域おこし協力隊卒業後は、そのまま北部地区の集落支援員として仕事をしています。北川村では、卒業後の就農を目指して地域おこし協力隊となる方が多いのですが、その他の雇用の選択肢として集落支援員が増えるといいなと考えています。私はこの土地が好きで、卒業後もずっと住み続けたいと思っていたので、引き続き集落支援員として、そのまま暮らせることはありがたいと思っています。
着任から3年間は村の方々に自分の存在を認めてもらう期間と捉え、自分の個人的な楽しみは少し後回しにしてきました。卒業の半年前くらいから少しずつ自分のプライベートや絵を描きながら暮らしていきたいという話をするようになりました。
そうすると、農家の方々からラベルや名刺を作るお仕事も副業として話をいただくようになりました。今は『小さな絵描きのアトリエ』という名前でHPを作り、オンラインショップを運営しながらデザインなどのお仕事も受注しています。副業が可能なのも集落支援員の魅力だと思いますし、個人的な絵描き活動で絵画個展を開く際も、村や地域との関連性やPRを兼ねて動くようにと相互に連携しています。

〈これから協力隊を目指す方へメッセージをお願いします〉
地域が好きじゃないとできない仕事だと思います。よく調べてから応募した方がいいと思いますし、きつい言い方かもしれませんがミスマッチも自己責任の部分が多くあると思っています。
自分が隊員として着任するために、多くの方々が動いてくれたことを忘れてはいけないと思います。地域おこし協力隊はとても恵まれた制度だと思いますし、入ってから違ったかな?と思うことはあっても、地域を自分から愛する姿勢は大切にしてきました。そしてその土地で自分が個人的に好きなものを見つけることができたら暮らし続けられるのではないかなと思います。

〜取材を終えて〜
吉永さんの静かだけど芯の強い仕事への姿勢を感じました。徹底的に地域の方々からヒアリングを行い、地道にコツコツと信頼関係を築いていった吉永さんなりの地域へのアプローチは、これから地域に入っていく方々にも参考になると思います。
地域おこし協力隊から集落支援員へという流れのモデルケースになりたいともお話しされていて、北川村や移住者への熱い気持ちが伝わってきました。同じ集落支援員という立場でもあり、吉永さんの活動は自分の活動を振り返る良い機会にもなり、学びや励みにもなりました。
何より、山深い北川村北部地区の風景や、手作りで温かな整備の行き届いた拠点にこちらが癒される取材となりました。
2025年11月時点 取材担当:川島尚子


