OBインタビュー 御処野誠さん(東洋町地域おこし協力隊OB)

御処(ごしょ)() 誠さん
東洋町地域おこし協力隊OB(2014〜2017年)

〈現在の仕事・生活〉
東洋町()()(がわ)漁業協同組合組合長、内水面漁場管理委員など

〈協力隊員になったきっかけ〉

 もともと川釣りが大好きで、川のある田舎暮らしがしたいなと考えていました。前職が接客業だったこともあり、地域でたくさんお客さんと関わる産直市場とかいいかも!?と、道の駅などの求人をネットで全国を対象に探し始めました。

 まず島根県で見つけたのですが、応募しようと連絡したら、もう決まってしまったと言われてしまい、その時に島根県の移住ページで「地域おこし協力隊」というワードを見つけて、協力隊って何だろう?と調べ始めたのが協力隊を知ったきっかけです。

 色々調べていて高知県の協力隊募集のページ「高知家で暮らす。」に行き着き、東洋町は高知県東部から順番でページの一番上に掲載されていました。しかも「海の駅東洋町の支援」というミッションで募集があって、産直市場がいいかもと思っていた自分の希望とも合ったので連絡しました。

 当時東洋町は協力隊の募集をしていましたが、全然応募がない状態だったそうで、電話すると担当職員さんがとても喜んでくれたのを覚えています。

〈売り場や価格の改善に着手、観光客が来る海の駅白浜に〉

 協力隊になった2014年当時、海の駅東洋町の野菜の値段はとても安く、ポップも段ボールに手書きしたようなもので、都心に近い産直市場とは随分様子が違っていました。

 今では週末になると観光客がたくさんやってくる海の駅東洋町ですが、当時のお客さんはトイレに寄るだけの感じだったので、まずは売り場の見た目を魅力的に改善するためにポップ作りの講師を呼んで教室をしてもらいました。

 また、東京や大阪で行われる物産展にも参加できるよう働きかけ、自分たちが生産する野菜や魚と同じものが、他のお店では高い値段で売られており、それでも買っていく人がたくさんいるという現実を見てもらいました。加えて、物産展に行けないような生産者のおばあちゃんたちには、値段を高くしてもこんなに売れたんだよ!と帰ってきてから伝えました。

 そのような取り組みを通じ、生産者さんが自分の作っているものに自信を持って、もう少し高く売ってもいいかもと考えるようになり、値段の改善につながりました。

〈野根川と野根地域の方々との運命の出会い〉

 野根川の奥の集落でおばあちゃんたちが美味しい野菜を作っていて、海の駅東洋町に出荷するため野菜の集荷をしてくれている人がいたのですが、高齢で作業できなくなったのをきっかけに僕が担当になりました。

 この野菜集荷は週に1回行っていたのですが、この時に野根川の様子を毎週見ることができたり、野根川地区の方々とたくさん知り合うことができました。

 協力隊になって半年の頃に、野根川の取材が来て野根川に詳しいということで僕が対応することになりました。その方と釣りの話で意気投合してNPO法人を立ち上げることとなりました。しばらくは週4で協力隊の業務、週2でNPOの業務、週1日はお休みという生活が続きました。

 今はNPO法人からは独立した形で、リバーガイド、鮎釣り体験、野根川SUP体験などの体験事業を継続しています。

〈悩んでいる人へ、もう少し気楽に思いつめずに〉

 僕は東洋町の初代協力隊員だったこともあり、周りが物珍しさで興味津々でした。普通に移住するのと違って「地域おこし協力隊」という肩書きも話題になり、地域の方々にとてもフレンドリーに接してもらえたと思います。

 今の協力隊を見ているとすごく真面目だなあ、サラリーマンみたいだなあと感じる時があります。僕はふざけるとまではいきませんが、楽しく業務をしていたので、いい意味でもう少し気楽に、思いつめずにやってもいいんじゃないかなと思います。

〈大好きな野根川のそばで、野根の人々と一緒にいつまでも暮らしたい〉

 野根川のことは東洋町に来るまで知りませんでした。川が好きだったので、全国の河川、清流と言われる河川、かなりの川を訪れました。が、たくさん訪れた日本全国の河川と野根川には雲泥の差があって、野根川にすっかり惚れてしまいました。

 水がキレイ、ダムがない、インスタ映えする、そんな川はたくさんあるのですが、僕の中で、野根川と他の川の違いは「人」なんです。流域に暮らす「人」が僕にとって最高だったのです。流域に暮らす人まで含めて僕は川の良し悪しを選んでいます。

 日本の河川は一級河川、二級河川合わせて20,000河川ありますが、1番惚れた川が野根川。20,000分の1に巡り会えた感じです。今では野根川でしか釣りをしていません。

 協力隊の頃からずっと「雇われる」という立場で暮らしています。東洋町にきて10年経つので、周りからは「もう東洋町に骨を埋めるんやろ」とか言われるんですが、自分としては野根川や釣りのことをガッツリやりたいと思って来たのに、まだまだやりたいことの半分もできてないなあと感じ焦っています。

 いろいろな場所で雇われていた間に学んだことを活かしつつ、自立して妻と野根川のそばで小さな宿をやっていけたらという思いで、今少しづつ動いています。

〈〈取材を終えて〉〉

 御処野さんとは協力隊の頃からの知り合いなのですが、こちらにきた経緯や思いを初めてじっくりお聞きしました。色々好きなことを伸び伸びとしているように感じていたので、まだまだやりたいことの半分もできていないという言葉が印象に残りました。野根川に惚れ込み、野根川のそばでやりたいことがまだまだたくさんある御処野さんのこれからがとても楽しみです。

※この記事は、2024年 2 月時点の情報を掲載しています

取材担当:川島